【ネタバレ】『終わり』がこわくてマロウブルーに向き合えていなかったオタクが、アイナナ5部を完走して成仏した話
タイトルのままの、オタクの読書感想文(?)です。
ネタバレも含むので、アイナナ5部ラストまで読破した方向けになります。アイナナは最高だなという話をしています。
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『マロウブルー』はあんなに美しい曲なのに、私はそれがこわかった。
理由は単純なもので、IDOLiSH7の楽曲で、ここまで鮮明に「終わり」「サヨナラ」を描いた楽曲は今までにないように思えたからだ。IDOLiSH7に「終わり」を突きつけられて、私は怯えた。
『MONSTER GENERATiON』で「未来はこの手の中に」と歌っていた彼らが。『ナナツイロ REALiZE』で「そろそろさ 未来じゃなくて 今日に夢中になって?」と歌っていた彼らが。「新しい僕らへ変わってく」「あぁ 僕らは未来へ行かなくちゃ」と歌う『マロウブルー』。「行きたい」ではなくて「行かなくちゃ」なのだ。変わらなくていいよ、ずっと私が好きなIDOLiSH7のままでいてよ。そう思えば思うほど、『マロウブルー』に向き合えなくなっていった。曲のタイトルや歌詞に知らない単語があれば、すぐに調べて深読みして楽しむタイプのオタクである私が、マロウブルーが何なのかすら調べずにいた。
私は「終わり」に怯えていた。有り体にいえば、アイドリッシュセブンのストーリーの完結が怖いし、サービス終了が怖い。アイナナ第5部のストーリーは、ずっと「終わり」を示唆している。ゼロの終焉に縛られる九条鷹匡に己を重ねて、何度も気が滅入った。「永遠」を望むことを、ストーリー内で小鳥遊パッパに怒られたりもした。現実世界に生きる私は所詮、芸能事務所の人間ではなくてソシャゲが趣味のオタクだから、どうしてもどうしても「終わり」がこわくて仕方なかった。
私が「終わり」に怯える理由はもう一つある。自分の好きなものに対する「好き」の気持ちが、自分の中でいつの間にか終わっていた経験があるからだ。
大昔。私はとあるバンドが好きだった。アルバムを買い、ライブにいき、ファンクラブにも入った。人生初のライブ参戦は、彼らのライブだった。
彼らは「おじいちゃんになってもバンドをやっていたい」「もし、ファンのみんなが離れていっても――また俺たちのところに戻ってきてくれたら嬉しいけれど――離れることは悪いことじゃない」と歌で伝えてくれた。
当時の私は「離れたりなんかしない! ずっとずっと大好き!!」と思っていた。本気で、思っていた。
それなのに。いつしかアルバムを買わなくなり、レンタルするようになり。ライブに足を運ばなくなり。そもそもあまり曲を聴かなくなり。ファンクラブは年一の更新を忘れて、気づけば退会処理されていた。何か特別な理由があって離れたわけじゃない。ましてや、嫌いになんてなるはずもなかった。それでも――私があのバンドを好きだった気持ちは、私の中で、私にすら気づかれない内に、「終わり」を迎えていた。
アイナナのストーリーに登場する所謂モブたちは、しばしば移り気で残酷だ。「TRIGGERがずっと大好き!」と言った舌の根も乾かぬうちに「ŹOOĻがずっと大好き!」と言うのだ。そんなモブを私は心のどこかで見下していたのだが、モブと私になんの違いがあるだろうか。
話は逸れたが。『マロウブルー』には下記のような歌詞がある。
「星空と祈りのマリアージュ
もっと頬寄せて誓って
忘れないと 信じていいと
瞳には違う色 光っても」
怯えながら『マロウブルー』のフルを聴いていた時。この歌詞が耳に飛び込んできた。ドキッとした。動揺した、と言った方が近いかもしれない。その時まさに「好き」の気持ちが終わるまでの記憶が、走馬灯のように蘇った。「瞳には違う色 光っても」という歌詞が、「好き」なものの対象を知らず知らずのうちに変えていた自分のようで。そしてこの先、アイナナへの「好き」の気持ちも終わってしまうようで。私にとって『マロウブルー』は「こころのなかを見透かす音色」だった。
そして月日は流れ、先日、アイドリッシュセブン第5部を読破した。なんだかもうずっと泣いていた。エンドロールで流れる『マロウブルー』。どこか恐怖は薄れていた。
ここではストーリー内の台詞を一部引用したい。
15章4話のトウマと巳波と「観客」の台詞だ。
トウマ「一生好きだと言ってくれた人も、いつの間にか、いなくなってた。
だけど、それは悲しいことじゃない。見捨てられたわけじゃない。
永遠なんてない世の中で、俺たちに永遠を感じてくれたたしかな瞬間があった。
そういうことだ。
誇らしい話じゃないか。俺は、俺たちは……。」
巳波「何度だって、永遠を感じさせてみせる。」
観客「すごい! すごい……!
ああ、みんな、大好き……!
ここに来て良かった……。
みんなのことが好きで良かった!
こんな光景……。
こんな感動、一生忘れないよ!」
観客「私も!
絶対に忘れない……!
きっと、ずっと、死ぬまで覚えてる!
好きなものが変わったとしても、
趣味が変わったとしても、
きっと、死ぬまで覚えてるよ!
だって、ただのライブじゃなくて、
私の人生にとっても、
すごく大事な瞬間だった……。
そう思えるから!
きっと、この景色は、
私が死ぬ日まで、
ずっと、私の中に一緒にいるんだ!」
繰り返しになるが、私は「終わり」がこわかった。それは「推し」の終わりでもあるし、自分の「推してる気持ち」の終わりでもあった。「永遠などない」と突きつけられることがこわくて仕方なかった。それでも、この「観客」の感情にはとてもとても身に覚えがあったのだ。
何か素敵なものを見たとき。推しを浴びたとき。「一生忘れない!」という感動があった。ナナライでも、オプナナでも、そしてあのバンドのライブでも。それは永遠にも等しいもので、たとえ変化が訪れたとしても、あの感動が嘘になるわけでも霧散するわけでもない。そう信じていいよ、と。教えてもらえた気持ちになった。
トウマと巳波の台詞が、あの好きだったバンドから離れてアイドリッシュセブンに流れ着いた私をも肯定してくれるようで、ずっと泣いていた。(話が逸れるので詳細は割愛するが、15章4話のアイドル16人のモノローグと選曲の全てが神がかっていて、私は深夜に号泣していた。リスポはアカン……。いや、全曲泣ける……最後が願いなのもずるい……助けてほしい……。)
エンドロールまで見届けた後、ボロボロ泣きながら『マロウブルー』のフルを聴いた。あんなにこわかったのに、今ではとても優しいうたに思えた。「何かが変わったとしても大丈夫」だという励ましにさえ思えた。不思議だった。
マロウブルーが何なのか、ようやく調べてみた。どうやら色が変わる魔法みたいなハーブティーのことらしい。時間経過で水色から紫色に。そしてレモン果汁を加えるとピンク色になるらしい。この色の変化から、夜明けのハーブティーとも呼ばれているとか。
ああ、そういえば『マロウブルー』の歌詞の冒頭は「いつの間にか夜明けは始まっていた」だった。それから2番サビは、1番のサビとはびっくりするほど違うメロディーだったなと思い出す。Cメロかと思ったくらいだ。(1番しか知らない状態でカラオケに行くと絶対に間違える、初見殺しポイントだ。)あれはマロウブルーが水色から紫色に変わる視覚的変化を、音で表現したのだろうか。
それなら、ピンク色にに変わった瞬間は歌詞のどの辺りだろうと考える。そこでふと思い出す。もう一つの初見殺しポイントは「瞳には違う色 光っても」の「光っても」部分だ。初めてフルを聴いたときにドキッとさせられた箇所は、まさしく「変化」を音で表現しているフレーズだったのかもしれない。
私は「新しい僕らへ変わってく」のはIDOLiSH7のことだと思っていた。でも、第5部まで完走した今思い返せば、「変わってく」のは楽曲の受け手である私達も含まれているのかもしれない。
ここからは少し歌詞解釈(という名のオタクの深読み)になる。
「無邪気な夢をおもいだして」いる「この場所」は、何かが変わってしまった後の世界。マロウブルーで彩るティータイム。「無邪気な夢」の中にいるのは、変わる前のあの頃の自分。「コンフィチュール」も「オレンジピール」も加工された食品、つまり変化した後の姿だ。コンフィチュールは保存食の意味合いが強いらしい。保存食……加工されて、より長く残るもの。つまり、これは推しを浴びて「一生忘れない!」と誓ったあの時の感動――形を変えて永く残る「好き」の気持ちかもしれない。だから、コンフィチュールは「懐かしいくらいあますぎる」。
マロウブルーは変化の象徴。
コンフィチュールは、忘れたくない気持ちがつくる永遠の象徴。だとするならば。
きっと『マロウブルー』は、変化を突きつける歌ではない。
受け手の変化すら許容して、変わりゆく時の中で永遠を思い出す、「終わり」に怯えなくていいんだよと寄り添う歌なのではないかと私は思う。
アイドリッシュセブン第5部、諦めずに読み本当によかった。そして楽曲『マロウブルー』は、第5部のPVに起用されるのも納得の、表題曲ともいえる一曲だと思う。第5部を経て『マロウブルー』に向き合うことができ、救われたオタクの話でした。
ここまで読んでくれる人がいたなら、感謝申し上げたい。読みづらい長文に最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。
もう「終わり」に怯えるのはやめにして。未来へ歩みを進めます。
ところで……第6部の配信っていつですか? 明日?